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アイヌ語新聞「アイヌタイムズ」の記事

(第15号、2000年(平成12年)9月20日(水)アイヌ語ペンクラブ発行 8〜10ページ引用)

(第15号日本語版、12月20日(月)アイヌ語ペンクラブ発行 3〜4ページ引用)

「有珠山が噴火しました」

Usu-nupuri (Usu-zan) opus ruwe ne

1. 赤字は、アイヌ語です。

2. 赤字のイタリック文字は、日本語です。相当することばが、アイヌ語にありませんでした。

3. 山形記号「^」は、日本語の長母音を示しています。

4. 版権は、アイヌ語ペンクラブにあります。


2000年3月末、虻田町は今まで大地は静かであったけれども、どういうわけだかある時から地震が起こりすぎるので不思議に思いました。
2000 pa 3 cup kese pakno Ap-ta maciya (Abuta-tyo^) or ta sirmo a korka, sine an hi wano sirsimoye kaspa hi a=oyamokte ruwe ne.

何日も地震が起きたので、町の住人が逃げました。
kesto an kor sirsimoye kus, ne maciya or un utar kira pa ruwe ne.

そのあと、2000年3月31日に有珠山が噴火しました。
okake ta, 2000 pa 3 cup 31 to ta Us-nupuri (Usu-zan) opus ruwe ne.

有珠山は、今まで、7回の噴火があったと言われています。
Us-nupuri (Usu-zan) anak te pakno arwan suy opus sekor a=ye ruwe ne.

1663年には、噴火して、家が焼失して5人亡くなりました。
1663 pa ta, opus hine cise uhuy wa asiknen isam.

1769年には、火砕流があって、家が焼失しました。
1769 pa ta, nupuri opus wa apehe rap kusu, poronno cise uhuy ruwe ne.

1822年には、火砕流があって、虻田集落が全滅し、50名亡くなりました。
1822 pa ta, opus apehe rap wa Ap-ta kotan a=arustekka wa waniw erehotnen isam.

その後、噴火で1853年には大有珠ができ、1910年には明治新山ができ、1944年には昭和新山ができました。
orwano opus kusu 1853 pa ta O^usu hetuku wa 1910 pa ta Me^zisinzan hetuku wa 1944 pa ta Syo^wasinzan hetuku ruwe ne.

1822年には、虻田の住民は、最初に火山の噴火があったときは避難しましたが、10日ほど経ったときに「もういいだろう」と考えて戻りました。
1822 pa ta, Ap-ta kotan un utar anak hoskino nupuriopus hi ta anakne kira pa korka, wan to pakno siran i ta "tane pirka nankor" sekor yaynu kor hosippa ruwe ne.

しかし再び火山が噴火したので、多くの人が亡くなりました。
korka kannasuy nupuri opus kusu, inne utar isam ruwe ne.

一度火山が噴火すると、その後静かなように見えても、本当に危ないのです。
arsuy nupuriopus kor, orowano sirmo pekor a=nukar yakka sonno ka iyaykipte ruwe ne.

雲仙普賢岳でも同じでした。
Unzenhugendake ka neno an pe ne.

1822年に噴火した有珠山の話はユーカラの中にも言われてます。
1822 pa ta, Us-nupuri (Usu-zan) oruspe anak yukar or ta ka a=ye hawe ne.

白老のアイヌ民族博物館の研究報告書第4号に、そのユーカラが書かれています。
Siraw-o-i (Siraoi) un Aynu-minzoku-hakubutukan sapte kenkyu^ho^kokusyo iye-inep(4) (dai 4 go^) ka ta ne yukar a=nuye ruwe ne.

そのユーカラには、真夜中から噴火した山の噴火した火が虻田の集落を消し、
ne yukar or ta, annoski wano opus nupuri, opus apehe rap wa Ap-ta kotan a=uska.

虻田の集落から、逃げた者は、海に飛び込んでも頭が焼け、飛びこんでも、海水を飲んで、腹を一層ふくらましたと書かれてます。
Ap-ta kotan orowa kira wa paye p anak, atuy or un terke p uhuy suma neya piyota neya rap kusu sapa uhuy hine, rawoterke yakka atuy wakka ruki ayne hon-pisese, sekor an pe a=nuye ruwe ne.

今年は(地元の)みんなが注意したので誰も死にませんでした。
tanpa ta anakne utari opitta yayitupare kusu, nen ka somo ray ruwe ne.

洞爺の町(洞爺湖温泉町)の西の山麓から噴火がありました。
To-ya maciya (To^yako-onsentyo^) cuppok ta an nupuri utorsam wa opus.

噴煙の高さは3200mでした。
3200 me^toru pakno supuya at pe ne ruwe ne.

一万六千人の人が避難しました。
16000 pakno oka utar kira pa ruwe ne.

洞爺の町(洞爺湖温泉町)では、大きな熱泥流があって、それで山のふもとにある家が壊されたり、飛んだ石が(家に)ぶつかったりしました。
To-ya maciya (To^yakoonsen-tyo^) or ta sesek toy wakka an wa, nupuri ouske ta an cise a=perpa ka ki, terke suma tomo osma ka ki ruwe ne.

その後、ぐちゃぐちゃの土(泥流)やら火山灰やらがたくさんありましたが、今は人々が街を片付けているところです。
okake ta pene toy neya piyota neya poronno oka korka, tane utari sitcasnure kor oka.

早く全員が帰宅できて安心して暮らすことができればよいと思います。
tunasno ne utari opitta hosippa wa apunno oka yak pirka sekor ku=yaynu.


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<参考事項>

上の記事は、胆振地方虻田町の遠島タネランテさんによるユーカラ「有珠山の噴火」から一部を参考にして記述してます。

なお、岩波講座日本文学史第17巻口承文学2(岩波書店)の240ページに、そのあらすじがありましたので、ご紹介します。
[有珠山の噴火]
「静かだった村に、ある時から地震が起きる。幾日も地震が続き、とうとう夜中から火山が噴火し始めた。海に逃げたものは焼け死に、村は全滅してしまった。その後、逃げた人々が戻ってくると、村の長老が祈る姿のまま焼け死んでいた。人々は、泣き、まわりの村の長老たちは死んだ人々の魂が神のところへ行くように祈る。そして、まわりの村人から人が集まって村を再興した。」