エスペラントが開いたアイヌ文化への扉
HOS^IDA Acus^i

 北海道にいて Ainaj Jukaroj などアイヌ関係の本を編集したりしたので、専門家と勘違いされたこともあるが、実は全くの素人、北海道に来るまでは学校で「アイヌがいる」と習ったな、という記憶が残っているだけでした。
 ところが時々外国からのエスペランチストが北海道に来るとたいてい「アイヌを見たい -- アイヌ部落へ行きたい -- 」と希望する。何度か案内するうち、私自身アイヌの歴史や文化について何も知らないのではつとまらなくなったので、いろいろ調べることになりました。
 特に Tibor Sekelj を白老、平取(びらとり)、二風谷(にぶたに)に案内した(1960年 4月)事で大きな影響を受けました。彼は前もって情報を集めて、「白老にはアイヌの詩人がいるから訪問する」「平取には民謡を歌う人がいる」と、私は初めて見たポータブルテープレコーダーも準備しての計画的な調査でした。二風谷では、のちアイヌ出身の初の国会議員になる萱野茂からアイヌ民具製作活動などの話を聞きました。彼は忘れられていくアイヌ語を、自分の経営する幼稚園で教え始めたが、今はラジオ講座や道内各地のアイヌ語教室が続いています。
 昨年の北海道エスペラント大会は大会テーマを「プラハ宣言とアイヌ語復興運動」としました。あの宣言の「第5項 言語上の権利」と「第6項 言語の多様性」を読めば、危機にある言語の復興・保存運動が、プラハ宣言の示すものと同じ方向のものであることがわかるでしょう。
 第1日の公開講演会で話した2人のアイヌ語関係の講師のうち1人、アイヌ語ペンクラブの萱野志朗事務局長は、故萱野茂元参議院議員の子息で、アイヌ語の復活普及のための「アイヌ語特区」や、アイヌ語を含む「公用語法」を考えている、と話しました。
 IKEL(Internacia Komitato por Etnaj Liberecoj :先住民・少数民族問題の専門団体)の2年前の機関誌を見たら驚きました。オーストラリア先住民の言語について「危機にある言語が生き延びるためには、それが使われる地域と、言語の承認された政治的地位が必要である」とあります。萱野講師の考えと実質的に同じことでしょう。場所は違っても同様な状況にあれば結論は同じなのでしょうか。
 先住民問題、平和問題など、世界の多くの問題を私は主にはエスペラントを通じて眺めていたようです。今後もエスペラントによる世界への道をもっと広げていきたい。今年の横浜UKがそのための大きなステップになることを期待します。