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これは、ユーゴ空爆に関するユーゴスラビアからの電子メールの内容です。

一市民の状況を知ってもらうために掲載しました。

エスペラント原文に比べ、多少省略してます。

ユーゴ空爆:1日目から25日目まで

* 題名:Fw: la dekkvara tago = du semajnoj(14日目=2週間)
7 INET GATE zciric@EUnet.yu 1999/04/19 22:20
Date: 06. April 1999 22:58(4月6日22時58分)
 ごぶさたしました。だが別に変わりはない。通信する時間が取れなかっただけ。
今店で働いており、面倒な仕事ではないが、6〜7時間は拘束される。父の会社は
この情勢では商売にならず失業状態。母は公立幼稚園の職員で、今は収入も保証
されているが、この先どうなるか。職があるうち、できるだけ稼いでおきたい
ので、メールを書き、送信する時間が作りにくくなっている。
 もう一つの理由が電話接続の渋滞。ネットワークにつながるまで1〜2時間
かかる。時には空襲があってそれも中断される。昨夜も”13日目”の送信が
終わりかかったころ、そう近くなかったが爆発の衝撃で使っていたプログラムも
メールも消え、やり直さねばならなくなったが、空爆下で全部やり直す時間は
ない−−。その内また空襲−−。だが電気があれば何とかなる。もし電力設備も
攻撃目標になり停電したらそれまでだが。
ニシュ、4月6日21時33分
 昨日の攻撃はこの時間に始まった。今日は静か。警報のサイレンは定期便の
ように毎夜、19時30分に鳴る。もう、それだけなら何も気にしない。飛行機の
爆音、爆発音が始まると電気を切って地下室(倉庫)へ行く。家族全員そこで
敵機が去るのを待つ。
 だが、実を言うと、この通りに待避したのは昨日の早朝だけだった。私も父も、
少しぐらいの音ではすぐ待避しなかった。昨日、不吉な数字の13日目の空襲
の日、母はおびえてすぐ待避し、皆ついていくことになった。その通り、ニシュ
にとっても不幸な日だった。 3時30分、爆発音で目が覚めた。続いて第2の
爆発。飛行機の爆音。皆地下室へ。何か見えないかと外へ出てみたが駄目。また
地下室へ。攻撃は3時50分まで。静かになったところで部屋へ戻る。昼頃の情報
では、死者はなかったが、市の中心部の建物にかなりの被害があったとのこと。
 9日目から、攻撃は軍事目標以外に拡大された。その最初はこの日の朝の
ノビサドの橋への攻撃で、民間人の死者も増えてきた。それ以前の「軍事目標」
への攻撃でも民間人の死者はあったが、「巻き添え」と理解できるものだった。
この日以後、情勢は変わった。この橋では、攻撃されたとき通行していた民間人は
皆「死傷者」になった。
 次の日から石油施設や工場がねらわれた。昨日はニシュの工業地区がやられ、
たばこ工場が主に被害を受けた。 セルビア人の健康まで心配してくれたのかな?
そういえば、ヴラニェのたばこ工場も攻撃されたという。幹線道路もこの後
目標になった。
 おとといボスニアの「平和部隊」もベオグラード〜ポドゴリカ間の鉄道破壊に
使われた。ボスニア国境の近くを通るこの鉄道の警備員を、侵入した「平和部隊」
の兵士が殺害し、時限地雷を埋めて引き上げた。列車の通行時間がずれたため
異常はなかったが。
 今日行われたノビサド、パンチェボの石油施設、化学工場の破壊は大きな環境
汚染を起こしている。戦争は最大の環境破壊なのだ。
 多くの都市の破壊された瓦礫のあとは今調査中だが、死者の数はさらに増える
だろう。NATOが援助するというアルバニア人を彼らは空爆で殺している。これが、
「人道的」「民主的」といつも自称する政府がやることだろうか?御意見をどうぞ
知らせてください。いまニシュの空は静か。    ではまた。
* 題名:Fw: la dekkvina (15日目)
8 INET GATE zciric@EUnet.yu 1999/04/19 22:20
Date: 07. April 1999 10:16       Subject: la dekkvina
:Nisx, la 07 de aprilo 1999, 09:22 h(ニシュ、4月7日9時22分)
 今朝の襲撃はちょっと”紳士的”だった。4時50分になって(そこまで眠らせ
てくれたから紳士的?)ようやく私を起こしたが、その代わり攻撃は激しく、
ミサイル20発が市の北西部の工場地帯を襲った。(私の家は市の東部にある)
再度の攻撃だったが、成功とはいえないだろう。たばこ工場の破壊は部分的だった。
昨夜はインターネットで外国のマスコミ (CNN, BBC, SKY News, Independent)を
廻ってみた。今朝は目覚めてはいたがベッドでNATO機の爆音やミサイルの爆発、
対空砲火などを聞いていた。この「戦闘」はおもしろい見ものだが、ここからでは
建物が邪魔でよく見えないので、あきらめて家にこもっていた。攻撃は20分
続いたが、爆音も遠ざかったところでラジオのスイッチを入れた。夜間早朝、
電波がよくとどく時間なので「アメリカの声」のセルビア語放送を聞いた。
ニュースはあまりなかった。今朝のは停戦についてのユーゴの提案と、米国−
NATO側の拒否を伝えていた。
 拒否の理由はこの提案が米国(大統領)の出した条件を満たさない、と言う
こと。ベオグラード放送も同じことを話していた。だが米国の条件たるや、
ユーゴでなくても、主権国家の受け入れられるものではないだろう。まず、コソボ
難民の帰郷、これはいい。第2条件は聞きもらした。だが第3、4の条件は
コソボをユーゴから切り離すことを意味する。3.ユーゴの軍と警察はコソボ
から撤退する、 4.それに替わってNATOの指揮する平和維持軍が進駐する。
 一口で言えば、ユーゴ政府機関は去れ、後にはNATOが来る、ということ。こんな
条件を受け入れる政府があるだろうか?
 だが昨夜からユーゴ軍は昨夜から一切の作戦行動を停止した。だがNATOの攻撃は
そのままで、ニシュばかりでなく、各地で激しくなっている。
*題名:Fw: la deknauxa tago, kaj la dudeka (19日目、20日目)
5 INET GATE zciric@EUnet.yu 1999/04/19 22:21
:Nisx, la 11-an de aprilo, 22:57 h(ニシュにて、4月11日22時57分)
 20時5分サイレンが鳴った。警報は朝7〜8時まで続きそうだ。これがこの
頃の日課になっている。7日以後ここは目標にはなっていない。
4月12日16時36分
 昨夜は疲れて眠く、メールを送れなかった。けさは7時5分警報解除
夜またサイレン。パンチェボ、ノビサド、クルシェヴァツ、プリシティナの、特に
軍事的でもない目標が攻撃された。パンチェボの石油施設はまた攻撃され炎上中の
ようだ。環境への危険が大きく、影響する範囲はセルビアだけではすまない。
10時20分また警報。今日のトップニュースはベオグラード〜テサロニキ間
国際列車の被爆だった。レスコヴァツとヴラニェ間でNATO機に攻撃されて1両は
ミサイルの直撃を受け、他の客車も大破。死傷者数は不明という。
 幾晩か西側「民主主義」国(主として米国)のラジオを聞いてみた。この空爆を
どう正当化しているか聞きたくて。しかし何ら新味なし。「すべてセルビアが
悪い−−コソボから大量の難民を出している−−」と言うが、難民はいつから
出てきたのか。空爆前には難民はいなかったことは言わない。なぜか。
 だれでも毎日空襲の続くところには住みたくない。今コソボから退去していく
のはアルバニア人だけではない。コソボの都市は皆連日爆撃され、プリシティナの
中心部は破壊された。ニュースが入った。「民主国家」米国報道によればユーゴ軍
は国境地帯でアルバニア人2人とジャーナリスト1人を殺した、この地域の平和を
守るためにNATOはヘリコプターを配置するという−−。
 過去2晩にわたって国境地帯でNATOの空爆とアルバニア領内からの砲撃に援護され
て2集団五百から千人が国境を突破してユーゴ領内に入ろうとしたことについては
何らの報道もない。多分これも「セルビアが悪い」からか? 少し前、イギリスの
ジャーナリストが、イスラム過激派がアルバニアに入った、と報じていた。
 どうも「民主国家」のマスコミも、かなりの報道キャンペーンをやるようだ。
しかし、その内容は暴力的で危険だ、と私は感ずる。NATOは「人権」を大いに
重視するそうだ。だが、彼らに従わないものがあれば、何でも破壊してよい、
と思っているらしい。
 この空爆作戦でどれだけ(莫大なものだろうが)戦費を使ったか知らないが、
(コソボ)住民のため、と言うならそれを破壊のためでなく、住民に与えたら、
はるかに喜ばれ効果があったと思うのだが−−。
(あとがき)18時10分、警報解除。
*題名:Fw: pli ol dudek(もう二十日以上)
4 INET GATE zciric@EUnet.yu 1999/04/19 23:26
:Nisx, la 18an de aprilo, 14:22 h (ニシュにて、4月18日14時22分)
 3月24日夜空爆が始まってから今日で25日になる。続いたもんだ。そして
これからも。長く−はいやだ。NATOもそう言っていた(ちょっとやっつければ
すぐ終わる−と)。だがそうは行かなかった。まだ続く。 2時間前警戒警報の
サイレンが鳴った。
 前回の攻撃は金曜の朝。4時50分遠くで爆発。そのままベッドにいた。市の
北西部の、この前やり残したところをやるつもりだろう。 攻撃している音。
何回か爆発。ロケット(ミサイル)を発射し、我々の上まで来て旋回する。爆音と
対空砲火音。約20分続いた。 想像は当たっていた。やはり工場地帯だった。
あそこは兵舎もあるが、工場と一緒に壊されていた。その前にも一度攻撃で
壊されていたのだが。前から無人の兵舎だったが。今の状況ではあんなところ
には兵員も武器もおいてはないのだが。
 もう空襲にもサイレンにもあまり動じないようになった。気にしようとしまいと、
来るときは来るんだ。気にしておれるか。いつも忙しく時間が足りない毎日なんだ。
 他の人も、もう空襲とサイレンには慣れてしまったようだ。警報が鳴っても待避壕
に入る人はあまりいない。空爆でおびえるだろうとNATO幹部が考えたとしたら、それ
は逆効果。”「民主的」西欧”とNATO−アメリカへの怒りを燃え上がらせただけだ。
それでは地上戦で−−というのもおどし? もうみんな大して気にしない、と言う
より、侵入してきたらおもしろそう、と「期待」のような気分もある。米国は
ベトナムの二の舞をやるだろう。NATOはアルバニア人に地上戦をやらせる計画とか。
そして自分たちは空爆に専念しようということか。「民主的」NATO幹部は自国民の
ことだけ心配しておればいいんだ、アルバニア人やセルビア人はどうでもいい。
 NATOがほんとに人権を尊重するならやることは他にたくさんあったはずだ。
本気でアルバニア人を援助する気ならミサイル攻撃は間違いだった。破壊から
何も生まれず、不幸を拡大しただけだった。
 金曜日、またも一般市民への”誤爆”。アルバニア人死者75人、負傷者二〜
三十人。ここ2〜3日多くの市街地、工場が攻撃され、個人住宅の被害も多かった。
昨夜はノビサドとパンチェボの石油施設が攻撃され大火災が起きた。パンチェボでは
化学工場もやられ火災の煙(有毒ガス)はパンチェボからベオグラードに至る住民の
健康を脅かしている。プリシティナは毎日の定期便で攻撃されている。
今日は春のいい天気だ。−−4月19日15時35分。
(あとがき)昨日の午後から電話不通。ようやく今送信。(19日16時12分)
(あとあとがき)送信中サーバが「送信完了」にならなかった。長すぎたか?
送信リストを分割して再度送る。もし同じものをダブって受けた人があったら、
ごめんなさい。

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