2010年北海道初夏エスペラント合宿の報告
Raporto pri la Fru-somera Kunloĝado en Hokkajdo en 2010


川合由香
KAWAI Yuka

6月5日(土)・6日(日)の2日間にわたり、HEL恒例の初夏合宿が行われました。今年で3年目となる札幌市西区西野の柴田内科循環器科研修センターを会場にお借りして、総勢23名の参加を得ました。直前になって、中級会話の講師を依頼していたセルゲイ=アニケーエフ氏が突発的かつのっぴきならない急用のため不参加となり、合宿本番前の3日間で講師陣を再編するという想定外の「事故」がありました。結果、中級会話はveteranoの星田委員長、初級会話は会話上達法に一家言お持ちの(「Heroldo de HEL」前号参照)樺山裕介氏、入門講習は川合が担当することになりました。

昨年「参加者同士の交流が盛り上がる」と好評だった、s-ino椿による夕食(カレーライス)と朝食(親子丼)は今年も反応上々でした。大量の食事を手際よく整えるのは素人には難しいものですが、s-ino椿は炊き出しボランティア経験にものをいわせて腕をふるってくださいました。深謝。

初級・中級の報告は別に出ていますのでご覧下さい。
以下、入門講習の報告です。

入門参加者は4名でした。うちお2人は過去に初夏合宿に参加したことのある方で、エスペラントとはどんな言語か、おおよそのところはご存じでした。他のお2人に「何(なに)でこの合宿を知ったか」(宣伝媒体)を尋ねたところ、1人が北海道新聞の案内記事、もう1人がHELのホームページでした。また、いったん参加を申し込み、前夜になって「急用ができた」と残念ながら欠席された方は、かでる2.7に置いたチラシを見て連絡をくれたのだそうです。行事の広報はいつも頭を悩ませるところですが、新聞掲載依頼・ホームページ・チラシのどの方法もそれぞれ有益だと分かりました。

入門講習の難しいところは、受講者側の希望(文法をきっちり知りたい人もいれば、とにかく口を動かしたい人もいる)や語学学習上のkapablecoにきめ細かく対応しなければならない点にあります。ことに、それらが複数名の参加者の間でまちまちな場合はなおさらです。今回は、エスまたはさまざまな外国語をかじった経験のある方々だったので、その点の困難はほとんどなく、たとえば文法用語をじゃんじゃん使っても大丈夫でしたので、講師としては楽をさせてもらいました。

今回はJEIから出ている「国際語エスペラントへの招待」というパンフレットの中の「入門講座」をテキストに使いました。

初めにエスの歴史・実用の楽しみ(パスポルタ=セルヴォ;川合の『Pasporta Servo』を見せると「アフリカにも登録者がいる!」と驚きの声が上がりました。また、加賀谷さんご夫妻の世界旅行のブログの抜粋が載っている「Helordo de HEL」も配りました)・日本でのエスの認知度などについて雑談をして導入としました。雑談のiloとして川合が持っていった『ダーリンは外国人』第2巻(小栗左多里著)の、ダーリンことトニー=ラズロ氏がエスを学ぶ様子を漫画で描いたページが参加者の笑いを誘っていました。

続けて文字と発音( ĝ と ĵ の区別が講師を含め難しかったため、多く時間を割きました)、人称代名詞、対格、Mi amas vin.型の文、単数と複数、語尾の付け替え、動詞の時制、造語法まで初日にこなし、20時頃に星田さんの中級会話クラスと合流(乱入とも言う)して「Ridu, ridu」を歌いました。2日目は発音の復習と歌、例を見ながら短い手紙を書く練習、挨拶、そしてテキストには無かったのですが独習に備えて合成時(分詞)を説明しました。最後に(入門講習を随時受け付けている)札幌エス会の連絡先を教え、藤巻謙一さんの通信講座を紹介して終了としました。独習のためのお土産として「La Semo de Esperanto」と「橋渡しの言葉エスペラント」を渡しました。

今回の入門参加者には「悠々自適」の方はお1人で、お2人は決まった曜日が休みではないという勤務形態でした。そういった方に学習を続けてもらうには、通信講座のように時を選ばずに学べる方法が必要でしょう。同時にやる気を保つためにはJEIやHELなどの会に入っていただくとよいと思うのですが、こちらは会費を払ってもよいと思ってもらえるような魅力を伝えないと難しいようです。今回もその場での勧誘は成功しませんでした。

ともかく4人の皆さんは、一応の満足を得て帰られたようです。講師としてはほっとしました。皆さんの中に芽生えたエスへの興味の芽が、順調に伸びてくれることを願っています。(了)


2010年初夏合宿初級
樺山 裕介
KABAYAMA Yusuke(kabajama juusuke)

 私が担当した初級での内容を紹介します。「聴く」「読む」「話す」「書く」の全てに時間を割り当てるように考えました。昨年、藤本達生氏に来ていただいたときには、ひとりずつ順番での音読だったため、生徒ひとりあたりの発音量が少なくなってしまった面もありました。そこで、今回は、講師に続いて全員で発音するという練習を意識して多くしました。
1 すべての母音と子音の確かな発音からやり直しました。日本語にはない多重子音の入った単語の発音を、二重、三重、四重子音と、順を追って練習しました。
2 実際の会話でほとんどをカバーできるだろう約500の基本単語と、16条基本文法とその番外(ki-単語)のおさらいを軽く流しました。
3 基本単語だけで書いた詩と、ハンガリーから私に来た葉書を聴いてもらい、わからないところを自由に想像してもらうことで、完璧主義を排そうとしました。その後で詩と葉書を見てもらい、ギャップを楽しむことを試みました。
4 ザメンホフの「練習問題集」"Ekzercaro"から選んだ文を、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し、壊れて針が飛んだレコードのように講師が音読しました。それを生徒が聴き取って書き、後で講師が直しました。いわゆるヒアリングです。
5 故・伊東三郎氏の小論「感の言語と理詰めの言語」の一部を聞いてもらいました。カタコト段階こそが大切であると述べた文です。
6 月刊「エスペラント」に連載している阪直氏の「やさしい作文」を使い、エス作文をしました。
7 菊島和子氏の「会話独習法」に習い、歩き回って、部屋のなかにあるものについて独り言を言ってもらい、講師は生徒の中を巡り歩いて、生徒とのエスでの会話を試みました。
8 聖歌「希望」"La Espero"の1番を歌いました。

生徒さんたちの感想を聞く機会がわずかしかなかったので、やむを得ずかってに自分に甘く自己評価してみます。
1 この段階から参加した生徒さんたちは、2日間、ずっといい発音をしていました。きれいな発音は他人に優しく自分にも得なエスペラントです。みなさんツボを押さえました。
2 Zlatko Tis^ljarという人の研究によると467の基本語根で会話の95%はカバーできるそうな。これをメールで吹田エス会の篠原陽介氏から教えられたのは、つい最近のことです。私が配布したのは阪直氏が選んだ基本語根ですが大差はありませんので、四捨五入で生徒さんに吹きますと、安心感を伴った好反応が一部からありました。ただ、これを全部、みんなで音読しようとして途中で挫折しました。
3 これは完全主義でこわばっていた入門者に対して私が使ったことのある手段の応用です。生徒さんたちのレベルがすでに高かったので、あまりギャップをどうこうできませんでした。また、入門者相手では聴くと読むだったのに対し、今回は聴くだけから種明かしだったので、少しかってが違ったことも課題です。ただ、「わからなくてもいいんだ」という声を誰かが洩らしているのが聞こえたときは、やってよかったんだと思いました。
4の「こわれたレコード」は、札幌市白石区でアイヌ語教室を指導している奥田統己・札幌学院大学准教授のやり方をまねたものです。アイヌ語教室では、白沢ナベさんという古老が語ったウウェペケレ(昔話)を録音したディスクを、ノートパソコンでひと区切りずつリピートを延々とかけて聴かせて書き取らせ、辞書を引かせて日本語に訳させました。生徒の解答を先生が直しながらアイヌ語について解説し、理解できたところで、最後にノートパソコンから出てくるナベさんの発音と声調、抑揚までもをそっくりまねるよう努めて、まずみんなで、そしてひとりずつ発音しました。「祭壇の下に隠れていた悪い熊を退治した女の物語」と、もうひとつ熊の話でした。毎回、アイヌ語への聴覚と理解力が成長していく充足感がたまりませんでした。
 これをエス教室で、パソコンという機械の代わりに、生身の口でやったのです。さすがに横隔膜の長期連続運動で体力を消耗しました。ただ、不思議と、口やのどは疲れませんでした。私のエスは、後ろにあるアクセントを高くして、他は平坦にするという、関西人流の抑揚ですが、(関東人は、他を平坦にしないで頭から急上昇する。スラヴ人は、アクセントを低くする。)、子音母音は正確です。正解が多かったですし、生徒さんには、そこそこの自信を持てるような、いままでに無い経験をさせてあげられたのではないでしょうか?
5 消化していない私が読んで聞かせただけなので、いまの生徒さんの記憶に残っているか定かでないような、消化不良でしょう。みんなで読み合わせて、意見交換してみれば、どうなったでしょうか。
6 講師自身すらよくわかっていないことについての他力本願は、無力な講師の独自性に比べれば、ずっと良いのです、なんちゃって。ということで、既製のテキストに頼りました。 エスは単純ゆえに、かえって迷うものですね。回答者を、くじ引きで選んだところ、最後に引いた人に当たるのが続いたと思えば、最初に引いた人が当たるのが続いて、盛り上がりました。私は何もインチキをしていませんよ。
7については、失敗しました。独習法は、複数ではできないものなのでしょうか? また考え直します。
8 入門のころ、毎回歌ったんですよ。

 文通していたころの、海外からの手紙や葉書を、入門講習に提供したところ、好反応だったことを、付け加えておきます。


2010年初夏合宿

Betululo : KABAYAMA Yusuke(kabajama juusuke) 樺山 裕介

La 5an kaj 6an de la 6a monato (junio) en 2010 estis la intensiva kurso de HEL en Sapporo. Ansero(s-ro Sergej Anikeev) kun bedaŭro nepovontiĝis esti la gvidanto de unu el la kursoj. Do s-ino KAWAI Yuka, Betululo kaj s-ro HOŜIDA Acuŝi respektive gvidis komencan, baznivelan kaj meznivelan kursojn.
En la baznivela kurso : 1. klara prononco de ĉiuj vokaloj kaj konsonantoj (precipe sekvantaj konsonantoj senvokalaj, kiaj mankas en la japana lingvo) escepte de klarigo pri "ĥ"; 2. Aŭskulto de unu poemo verkita de mi kaj kompreno de la kaptita parto kunestanta kun nekaptita parto, kiu donis liberan imagon ; ne suferu sed ĝuu la nekomprenon ; 3. Plena aŭskulto kaj voĉlegado de "la poemo por komencantoj" ; 4. Mi fariĝis difektita sonmaŝino, kiu nur ripatadas unu frazon sen longa paŭzo por ke la nelertaj lernantoj havu kiel eble plej multajn ŝanĉojn kapti la frazon per siaj oreloj sen siaj okuloj. Kiam unu el la lernantoj laux sia vico montris sian solvon sur la tabulo antaux ni, la sonmaŝino Betululo ekripetis la sekvantan frazon. Tiu eksperimento de gvidmaniero lacigis min korpe. Strange tamen miaj buŝo kaj gorĝo ne laciĝis. Bonis la sperto por mi, ĉar mia prononco plu perfektiĝis. Mi kredas, ke ankaŭ por la lernantoj bonis tio. Tiu maniero, kiun faris mia gvidinto de la ajnua lingvo, vicp-ro OKUDA Osami, per komputilo, al mi aktuale pli akre sentebligis la nervojn de miaj oreloj , kiuj plu poviĝis ĝui la karaĵojn de la ajnua elvoĉa literaturo, kiun mirinde parkere rakontis maljuna ajnuino. Mi imitis tion per mia buŝo neteknika anstataux lia komputilo moderna.) ; 5. Auxdo de mia voĉlegado de la japanlingva verko de ITO Saburo, kiu en ĝi asertis la gravecon de nematuraj fragmentaj eldiroj de infano kauxzitaj de elkora emocio ; 6. Traduko en Esperanton de japanlingva frazo kaj kontrolo de ĝi per la paĝoj verkitaj de s-ro SAKA en la monatlibro (termine "organo") de JEI "Revuo Orienta" ; 7. Praktiko de la libreto verkita de Krizantemo (s-ino KIKUSIMA Kazuko) pri senkunparolanta parollertiĝo. Mi migrigis la lernantoj por ion ajn en la ĉambro priparoli. La lernantoj multe konsultis la vortaron sen cerbumo kontraux mia volo, kiu estas tia intenco, ke ili pli libere uzu la plej bazajn vortojn. Mi malpermesis la uzon de vortaron escepte de la listo de bazaj radikaroj, sed ili ignoris mian volon. Tial mi diris al ili, ke, se ili dauxre estos tiaj, ili neniam ekpovos paroli Esperanton ; 8. Ni kantis la saktan kanton (termine "himno"n) "La Espero".
Krome s-ro INUMARU Humio de Honŝuo venis por la venonta japania kongreso en Satporo.


初夏合宿の中級会話コースの報告
星田 淳
Hosxida Acusxi

 合宿開始の4日前の朝、講師予定だった S-ro Sergej Anikejev からメールが入った。彼の勤務するロシア国立極東大学の本学(ウラジオストク)の学長が函館校を視察に来る、通訳として随行せねばならない、とのこと。
> Lia vizito vere estas tute subita kaj ne planita.
と言うから、まさに突発事故のようなもの。
 去年このコースは椿さんが担当した。今回もどうか、と連絡したが個人的な事情もあり準備の時間がないらしい。川合さんが入門コースを担当するから私(星田)が中級を担当するように、と提案があり、時間もないので、そのように決定。
 中級となると実際に参加者に口を開いて報告、質問、応答 ---- つまり会話が自然に続くように工夫せねばならぬ。そこで文章を読んで聞いてもらい、その内容の理解を確かめながら質問してもらい、他の人が答える、というやり方で進めた。
 最初に 今回来るはずだった S.A. 講師の書いた文を読んでその内容について話し合った。この文、前にも読んだことがあったが、スターリン時代は終わったはずなのにエスペラントを宣伝すると「ソ連の敵、スパイの言葉だ、そんなものをやると危ないぞ」との「忠告」が舞い込んできたという。「過去の記憶」はまだ消えていない時代だったようだ。
 私の分も含め何人かの文を紹介。「口を開いてもらう」事に重点をおいて「誤り指摘」の方は少し手を抜いた感じはあるが、七十代から二十代までの参加者が自分の経験、考えを話しあえた事は成果だったと思う。
今後はさらに楽しみながら高めていくことを考えたい。