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五木寛之「青春の門 第七部 挑戦篇」書評

KABAYAMA Yuusuke 樺山 裕介


Mi verkis recenzon.
Jen estas mia verko.
Betululo


  単行本が出版されたのが1993年というから、連載されていたのは、その前の年ぐらいだったろうか。週刊現代に「青春の門」の続編が載りはじめたとき、それまでのブランク が長く、しかも舞台が北海道だったので、軽い興奮をおぼえた。週刊現代は、そのころは元木昌彦編集長の時代で、冴えた記事が多かったので、よく読んでい た。
  それから何ヶ月か あと、買う前に立ち読みをすると、作中にエスペラント語の話が出てきたので、びっくりした。しかも、長い。マイナーで世間からほとんど知られていないエス ペラント語が、全国津々浦々にあるコンビニやキオスクで売られている週刊誌で本格的に紹介されたのだ。しかも紹介しているのはベストセラーを幾つも書いて いる有名な作家である五木寛之だから、喜んでいい。
  なのに、エスペラ ント語愛好者たちは、袋とじヘアヌードを毎回つけているオヤジ雑誌など目もくれない道徳的な人たちばかりだったようで、話題にならなかった。「エスペラン ト」誌の「El la Japana Gazetaro」という、日本の出版物に出てきたエスペラント語を紹介するコーナーにさえ出ることがなかったことには、心底がっかりした。ならば、自分 で知らせればよかったのだろうが、まさか、週刊現代ほどの多数の部数をもつ出版物への、しかも数週間にわたる登場に、全国のエスペラント語愛好者のうち誰 も気がつかないとは、思わなかったのだ。
  時は流れ、 2011年3月15日に文庫本となって出版された。東日本大震災でたいへんなころである。函館に引っ越して来たばかりのころで、原発と震災の情報に飢えて 本屋に行ったときに、偶然に発見して、他の本といっしょに買った。買った理由は、エスペラント語が紹介されていることの他に、地元が舞台だからである。そ れでも3.11のあとだったので、読む優先順位は低くなり、2013年4月18日にやっと読み終えた。

  10代のころ。 「青春の門」と、荒い字体が背表紙に書かれた、黄緑色のハードカバー全巻が、高校の図書室や、市立の図書館に並んでいた。たくさんの人に読まれて、ぼろぼ ろになっていた。思春期の読者にとって、うらやましくもあり心苦しくもある場面がところどころにあることが大きかった。筑豊の炭坑地帯で始まる若者の成長 物語である。主人公が進学で東京へ出てから、劇団に付いて函館に行ったところまで読んだ。それから東京へ戻って、幼なじみの歌手のマネージャーをしていた らしいが、そこまでは読んでいない。私はガキだったので、筋は断片的にしか覚えていない程度だ。長い小説のいちばんはじめに出て来た、香春岳という、けっ たいな形をした山を、実際に日田彦山線の列車の窓から見 たときには感動したなあ。たしか、筑豊を出て行くときには、義母の遺骨をかじりながら、ナナハンをぶっとばしていたなあ。すごいなあ。と書いても、とても 説明にはなっていないが、そういう大河小説である。

  以下は、ネタバレですので、話の結末を、読む前に知りたくない方は、読まないでください。


  ときは、1960 年(昭和35年)の暮れから、翌年の春にかけての物語である。主人公、伊吹信介25才。「<革命が明日にもくる><そのためなら命を捨ててもいい>そう本 気で考えている青年たちが、どこの大学にも数多くいたのである。」という時代だったらしい。「水原弘がうたう<黒い花びら>の歌声が風にちぎれながら流れ ていた。」どのような曲か、当時生きていないので見当もつかない。あとで、動画検索してみよう。
  「江差(えさし)は風の街である。」文庫本にして、かなり厚い688ページ分のこの本は、こう始まる。ここから、おそろしく荒涼とした冬の檜山地方の天候の描写が続く。
  688ページのう ち、エスペラント語に言及しているのは30ページだ。かなり多いページ数だと言ってよいだろう。286ページ読んで<和エス辞典>、<エロシェン コ>ということばがあらわれ、次の287ページで<エスペラント語>ということばが、はじめて出て来る。そこからがエスペラント語の説明だ。
  九州男児くんが、 なぜ、はるばる冬の江差に来たか。江差出身の老人の遺骨を持って来て、わけありで江差に行けない老人の娘に頼まれて、かわりに遺言をはたしてやるために、 天然の防波堤のような細長い小島・かもめ島で、散骨をするために来たのである。この老人がエスペランティストだったという設定なのだ。遺品となった岩波新 書「ザメンホフ」(伊東三郎著)を主人公が読みふける場面で、一章の半分を費やしている。
  では、どこから作者はエスペラントに着目したか? この老人のモデルは、おそらく、ジャック白井という、スペイン市民戦争に参加した日本人である。この、スペイン市民戦争の人民戦線に、エスペラント語部隊があったのだ。
  主人公を追って来 た全学連の地下組織「全文工」の青年、江差追分の師匠にして漁師の男、弟子の美少女、心を病んでいる水商売の母親、世界を放浪しているオーストラリア人の 青年、居候先の禅寺の住職がからみ、舞台が函館に移ってからは、新聞記者くずれの裏稼業の男、その仲間のバーのマスター、レポ船の元締め、右翼の大物、客 引きを脅すこわもての公安調査官、囲われて流れて来たインテリ娼婦が、からんでくる。
  分岐点を作ってく れたのは、快活な豪州青年ジョンである。もともと、良家の生まれで、何も考えずに生きていたジョンは、交際していた女性がアボリジニ問題に入れこんだあげ く不審な死をとげたことから、今までの生活を捨て、世界中を身ひとつで歩きはじめる。ヘルシンキで英国情報部員の仕事も、裏の世界を知るためにやったこと がある(これが意外にアルバイト的な穏やかな世界であったところがミソ。冷戦なんてたがいの軍産共同体のための八百長だ。余談。)。江差にいるのは日本の 北前船の論文を書くためである。
  このジョンのせりふである。「イブキさんは、いま自分は迷っている、と言いましたよね。」「それでは一つ、私が真面目なアドバイスをしましょう。イブキさんは、一度、日本を出てみることです。それも二十代のうちに」
  イブキには特に外国に行く理由はないため、初めは、その忠告をはねつける。しかし、この夜をきっかけに、国外に出るという思いが膨らんで行く。
  ここに、エスペラ ント語への思いを重ねてみよう。ジョンは、ポーランドで、エスペラント語ラジオ放送のスタッフだった女子大生と短い恋をしたことがあったそうな。そこで、 エスペラント語をかじったそうだ。東欧諸国を旅するならエスペラント語を知っていたほうがいいと彼女から吹き込まれる。そのことをジョンがイブキに話す事 で、イブキにはエスペラント語の有効範囲がインプットされる。
  イブキは夢を見 る。ビアリストック市の夢だ。夢のことだから、何でもありだ。そこで、エロシェンコと会う。若いころの「老人」の消息を尋ねる。スペインへ行ったことだけ 答えを得る。官憲に尋問される。パスポートがない。この国内異人め。悪夢に変わる。これはユダヤ人ザメンホフの嘆きだ。国内異人=イナロードツイ=権利の ない連中。
  イブキは志をたかぶらせ、その志を固めていく。ソ連へ渡り、シベリアを横断し、ポーランドへ行こう。仲間をだましてでも行こう。なぜポーランドか。ザメンホフの故郷だからか。執筆当時、東欧の民主化の熱気がすごかったことも、作者に影響したかもしれない。
  とにかく、最後は、それぞれ思惑のちがう男女5人でソ連へ密航する話になるのだ。若者が未知の世界に足を踏み出すところで、物語はいったん、終わる。


  4月はじめに、こ の本を携えて、江差に2泊して、旅をしてきた。風は強かったが、この小説のようには、街は暗くない。春を告げる黄色い福寿草が芽吹き、むしろ明るかった。 江差に来るのは3回目か4回目である。JR江差線の「木古内〜江差」間が廃止になる事が決まったので、いまのうちに乗っておく必要もあった。夏に乗ったと きは、峠越えでは、列車に、成長したオオイタドリがバシバシ当たって、窓を開けると顔に当たるくらいの大自然だったが、この残雪の季節では沢の奥まで見晴 らしがいい。全部の駅、見届けたぞ。廃止されるなんてなあ。
  かもめ島で、深緑に染まった岩礁に身をもたせて、美しい日没を、酒を呑みながら、伊吹信介のように海の向こうに思いを馳せながら、眺めたことは、とても良かった、が、ホッカイロで間に合わないくらい体が冷えた。
  「江差追分の師匠にして漁師」の人と会った。追分の師匠と話をどうぞということになり、住んでいる場所が小説と同じだったので、尋ねてみたら、この人がモデルだった。小説のための取材を受けたらしい。そのあと五木寛之氏からの音沙汰がないことを寂しがっていた。
  主人公たちが居候していた寺も確認して来た。坂を上ったかなり高い場所にある。
  この追分。信濃の 国小県(ちいさがた)地方・望月町でのエスペラント日本大会に行ったときに、追分は信濃の追分だということを知った。さらに、そのルーツはモンゴルらし い。たしかに、モンゴルに追分そっくりの歌があり、それを検証した人もいる。モンゴルより先(ハンガリー?)もあるらしいが未確認である。しかし、江差追 分の調べは波乗りなのだ。大陸の叫びがどうやって荒海の叫びになったか、これはナショナルジオグラフィックが特集する価値があるほどの世界的歴史ミステ リーロマンではないか。小説のなかで追分は、恋人たちの別れの場面で実にうまく使われて出て来る。
  「江差の春は江戸 にもない」と言われた北前船の町・江差。ニシンの群来(くき)がなくなった今、衰えさびれたのかといえば、そうでもない。姥神大神宮渡御祭のフィルムを見 た。若い男女やこどもたちが、はちきれている。楽しげに顔を見合わせながら思い切り太鼓を叩く女の子たち、男の子たち。太鼓ができれば、次は笛を吹かせて もらえる。ヤンキー兄ちゃんたちが山車かつぎで見せる無尽蔵のスタミナ。そのような年月はすでに経て来た貫禄あるおじさんたち。いいなあ。今度、生で見に 行きます。
  あと、海岸近くの 目抜き通りを全部、江戸時代風に変えたのは、あっぱれな税金の使い方である。古い建築をはさんで、銀行も、パン屋も、板金工場も、理容店も、自動車販売店 も、自転車屋も、すべてその通りの店は江戸時代風に建て替えられた。理容店は「髪結い」の看板を出していた。風情があってよい。こういうこと、やればでき るのですね。
  小説のなかでは、まるで西部劇に出てくる砂埃にまみれた荒んだ集落のような書かれ方をされているが、それは冬だけの話で、春になればおだやかで、おいしいものもいろいろあり、復元された戊辰戦争での軍艦・開陽丸や網元屋敷など、見所もそろっている明るい町である。

  このころのような海外渡航が困難だった時代に、エスペラント語が若者たちの心を惹いた。ところが、海外渡航が簡単にできるようになると、エスペラント語界は逆に少子高齢化するようになった。この問題は、別に論じたい。
  この本は「親鸞」などと比べ、売れた本ではない。今の世相に合わない本である事は否めない。
  しかし、「青春の門」シリーズの底流には「さすらい」がある。
  さすらいに血がさわぐ人間であることを、私は絶対にやめない。
  安宿で、バックパッカーたちが、たがいに、英語ではなくエスペラント語で話すような世が来ないものか。
  風の吹き抜けるかもめ島で、日課にしているエスペラント語の音読をした。周りには誰もいなかった。

 講談社文庫 950円


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